武田軍と上杉軍(越後:新潟)は良きライバルであり、戦友(?)
甲斐(現在の山梨)を領地としていた武田軍は領地を広げようと信濃(現在の長野)へ侵略を 進めていた。領地を追われた信濃の領主たちは、越後(現在の新潟)の長尾景虎(のちの上杉謙信) に助けを求め、景虎は求めに応じ、以後10年以上に渡り戦いを繰り広げることとなる。 何回戦も繰り返された川中島の戦いは有名になった。
この状況のなかで、大きな事件が起こる。
この事件が「敵に塩を送る」という語源になっている!
当時の戦後大名の中で、一番の実力をもっていた駿河(現在の静岡)の今川義元。
今川義元は、武田、北条(相模:現在の神奈川の戦国大名)と3国同盟を結び、
京都に軍を進めはじめた。(京都を攻め落とせば日本の王様になるようなものだった)
今川義元は、武田、北条(相模:現在の神奈川の戦国大名)と3国同盟を結び、
京都に軍を進めはじめた。(京都を攻め落とせば日本の王様になるようなものだった)
最初の戦い「桶狭間の戦い」で尾張(愛知)の織田信長の奇襲により今川義元は敗北した。
三国同盟を結んでいたもう1国の北条は武田の裏切りを聞き、今まで武田に売っていた
当時では大変貴重な「塩」を売るのを止めてしまった。
武田軍の領地(甲斐:現在の山梨、信濃:現在の長野)は塩がとれない地域であったため
今までは、北条(相模:神奈川)や今川(駿河:静岡)から塩を買っていたが、北条に
それを止められるとかなりの痛手であった。
それを知った武田の宿敵の上杉はそれはフェアではないとして、敵である武田に塩を送った。
武田は、窮地に追い込まれたが、宿敵に助けられたわけである。
上杉謙信のフェアプレイ精神がにじみ出ている事件であった!
まぁ、武田信玄もどうかとおもうが(笑)